第100回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、元祖甲子園アイドルの太田浩司さんが始珠式で投手を務めるというニュースが・・・・・
これまでも100回大会の記念行事として、夏の甲子園大会で星稜高校のホームランバッターとして活躍した元巨人、ヤンキースに在籍した松井秀喜や、PL学園で活躍した元巨人のエース桑田真澄が登板。
さらに、プロ野球界で「大魔神」と呼ばれ、日米球界で活躍した東北高校出身の佐々木主浩も登板しました。
記念すべき第100回大会の決勝戦は、春夏連覇をねらう強豪、大阪桐蔭学園と秋田県勢として103年ぶりの決勝進出を果たした金足農の対戦に。
その決勝戦の始球で登板す太田幸司。彼の若い頃や高校時代は?プロ野球時代の成績や、現在は?など気になることをまとめてみました。
太田 幸司の高校時代
太田 幸司は、1952年1月23日 生まれ、青森県三沢市出身。アメリカ人男性と日本人女性との間に生まれました。
幼いころに養子となり,、一人っ子として育ちました。青森県の三沢高校時代に、野球部のエースとして活躍。1968年夏、1969年春・夏の3大会連続で甲子園に出場。
1969年の夏の大会では、東北勢として戦後初の決勝進出を果たしました。延長引き分け再試合の熱戦でしたが2-4で敗れ。準優勝に終わりました。
ハーブのため、色白と甘いマスクで女性ファン増えて、決勝戦以降はさらに過熱。元祖 「甲子園のアイドル」と呼ばれています。
太田 幸司のプロ野球時代
どラフト1位指名で当時の近鉄バファローズに入団。プロ入り1年目から1ファン投票1位を獲得してオールスターゲームに出場。
1975年に自己最多の12勝を挙げ、1977年には10勝。1979年に7勝を挙げて近鉄のリーグ優勝にも貢献しました。
しかい、その後は成績が伸び悩み、1983年に巨人にトレードで移籍、さらに1984年に阪神タ移籍しましたが、二つの球団で一軍登板がないまま、1984年に現役を引退。
太田 幸司の現役引退後と現在
現役引退後は、野球解説者やスポーツキャスターとして活躍。2009年からは、発足した日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任しています。
44歳の時に結婚。3人の子供のパパで、現在は兵庫県宝塚市に住んでいます。長女は、宝塚歌劇団の第100期生です。長男は、京都の福知山成高校の野球部で投手に。
第95回の甲子園全国大会では、京都代表としてベンチ入りしています。次男も、高校の野球部で投手としてプレーしてました。才能に恵まれた子供たちですね。
まとめ
いかがでしたか。
記念の第100回全国高校野球選手権大会の決勝戦に始球式で登板する太田幸司の高校時代やプロ野球時代、現在にまとめてみました。
私の記憶では子供の頃、某有名チョコレートのCMにも出ていて、その甘いマスクで女性に人気だったなあーという思いが。当時、パ・リーグの選手はあまり知りませんでした・・・・・
今回の高校野球は記憶に残る大会になりそうです・・・・・